多層言語環境研究という冠をつけて活動しはじめて,まだ7~8年というところである。
「多言語」と「多層言語」とはどう違うのか。「多層言語環境」は日本に存在するのか。この研究を始めたころはそういうことを考えていた。
多言語社会はそれまでもじっさいに多く存在してきた。スイス,カナダ,マレーシア,インドなどが,そういう国の代表だった。それらの国を取り上げる時,多言語社会が必ずしも多言語話者の国というわけでもないとか,人としてのバイリンガル・マルチリンガルと,地域としての多言語使用地域を分けて考えなくてはいけないなどと言われてきた。そして,日本は,いずれの意味でも,モノリンガルの人が住むモノリンガルの地域であると思われてきていた。
多層言語環境研究を始めた当初は,日本とはそういう国であるというのが一般的な理解であったと思う。多少外国人が増えてきたと感じてはいたけれど,まだまだ日本は日本人が住む日本人の国であり,そこではほとんどもっぱら日本語が話されていて,だから日本人は外国語が,というより英語が得意ではない。それを何とかしなくてはいけない。英語を話して,国際化しなくてはいけない。
そう思われていたし,私たちもそう思っていたからこそ,いや,これからは,日本も日本語以外の言語話者がグループを作って,二重,三重に重なり合いながら社会生活を営む場所になるのだと主張するつもりで,この研究を始めたところがある。エビデンスをあげて,日本はそういう場所になっているのだと示すことが,多層言語環境研究の行うべき一つのミッションであると思っていた。
ところがである。5年計画の最終年を待たずに,日本の多層言語環境化を誰も否定できない状況がやってきてしまった。大量の外国人観光客がやってくる。少子高齢化で外国人労働力を入れなければ経済が回らなくなる。説得する必要のないくらい,多層言語環境は現実のものとしてそこにあるようになってしまった。
にもかかわらず,今も私たちを捉えて離さないのは,英語を話せるようになって国際化することで,日本が国際舞台で活躍できるようになるのだという思い込みである。英語を話すことは,悪いことではない。しかし,もはや,英語がどうのという話ではなくなっていることに,気づけないでいる。そして,それに気づけない人たちというのは,たいてい年齢が高めの一度身についた思考がなかなかなくならない人々である。あるいは,そういうおじさん化した若者である。感度の高い非おじさんたちは,すでに日本人の外国人・外国語コンプレックスやアレルギーを軽々と飛び超えて,同じように越境してくる非日本人と交わり,新しい文化や価値を創造し始めている。
「トランスランゲージング」が,今回の科研研究のキーワードの一つになっている。言語をごちゃまぜにしてチャンポンで使おうなんて,美しい日本語を破壊する危険思想ではないか,と批判する人もいるのかもしれない。
しかし,その日本語だって,現在の標準日本語は,参勤交代で地方から集められて大名屋敷に住んだ人たちが,コミュニケーションに困って生み出した,ピジン言語だったはずである。
越境し,接触する人たちが,時代を先に進めていく。思い起こすと,自分も,この研究を始めた当初は,多層言語環境を問題であるかのように扱ってきた。そうではない。多層言語環境は,おそらく,時代を先へ動かすエネルギー源なのだと思う。